先日息子としたBLからそのまま広がった話を少し

「おかんがBLのおもしろいところを、恋愛の対等感がいうだろ?
それは俺もいいなと思う。
でもなんでそれが男女じゃダメなんか?」という話になったので

「それはな」と話が広がり、対等な恋愛をしている人もいるけど、
多数派ではない話とか、
実はそれを無意識に望まない人も意外といるよとか
難しいと思う理由とか話していたら 
「対等」というか「対等感」の邪魔になっているものって
つまるところ「設定された役割」なのかなと。

よく言う「女は」とか「男は」とかってやつ。
(「母親は」とか「嫁は」とかバージョンもあるよね)

そりゃ「役割」が自分で「それがいい」って選んだ結果にあるのなら
いいと思うけど、
選ぶ以前に決められてしまうってのはまるでくじびきみたいじゃないすか。
アタリもあればハズレもある。 

その与えられた「役割」を抵抗なく受け入れられる人もいれば
違和感を感じながら過ごす人もいるわけで。

しかも役割拒否は「世間」から無言の圧力かかるし
自分の中に育った「世間」ってのとのW攻撃。

個人の前に「役割」を設定される

これホントやっかい。
そんですごく根深い。

最初に役割を振っておくほうが楽だとかってのがあるとして
それはあくまで「仮」だといいよね。
自由度高くしてもらうと、楽な人も増えると思うんだけど。

「家事は女の仕事」と役割にあると
別に家事得意でもない女性は役割を上手くできなくて苦しいわけだけど
 
男の人にだって「男は一家の大黒柱」的なものを求められて
「いや、そういうの重いわ」ってプレッシャーに苦しむ人もいるわけで
そのあたり男女とかでなく個人てことで選ばせてもらえるとか
いんじゃないかなーとか思いません?

てな話を延々としていたわけです。 

しかし、これ
実は「いいと思わない」人の方が多いことを
私は体感している…