親のやっていた店が潰れてその後の片付けは
寂しさはあっても罪悪感はなかったんですけど、

いわゆる「プライベートな物」については
けっこうな闘いがありました。


まずは持ち主の「捨てないで」という言葉やオーラとの闘い


店が潰れて父が亡くなり、がっくりと元気を無くした母

片付けながらふと思ったんですが
おそらく母にとって
家に残っていた物は
たくさんの幸せな頃の思い出や記憶がしまってある
部屋の鍵のようなものだったのかと。


でも捨てるわけです

母が捨てられないので私が捨てる


置いておけるならそれもアリだったんですが

病気で倒れて施設に入所した母

実家に残る物は、そのまま置いておくことが難しくて

そもそも片付け始めて母の部屋の物をどけたら

畳が傷んでいて、一部カビが出ていたり

晩年の喘息の理由はこれだったのか…と思うほど


それでも途中一旦ストップしたのは

母が時々「家の方どうなってる?」と聞いてくるから

嘘つくのがしんどいので

捨てるのを途中でストップしたのです

…と、これは振り返って思う理由

当時は「やむを得ない事情」が発生したからストップしたんで

きっと自覚ナシに「これ幸い」だったんだろうなぁ…(^^;)


話は戻りますが

「物」は「幸せな頃の思い出や
記憶がしまってある部屋の鍵のようなもの」

そう思った時に「罪悪感」はかなり減りました。

09
だって、その記憶はもう母が持って行ってしまったから。

そして、私は処分しながら「母が大事にしていた理由」を

想像して私の中の記憶の箱に入れていったので。


勝手ですが私の気持ちにしまいこんだので
「捨てていない」のです