ちゃんとモト

「福田素子」は「幹」と「モト」夫婦二人のペンネーム。 ここは二人で管理するブログです。
マンガ絵日記、趣味のイラスト、ねこ話、もちろん仕事のお話も。

カテゴリ:日記 > 明日の私に伝えたい

明日の私に伝えたい(9)

水彩画展を開きます。

漫画家という絵を描く仕事をして30年ほど経つのですが

この水彩画展の作品は仕事ではない絵。


度々書いていることですが

私ってば絵を描く仕事なのに

ずっと絵にコンプレックスを持っていました

自分の絵が嫌いだというのではなく

商業マンガであまり褒められることなく

特にカラー作品は、私の好む色が

ことごとく印刷に出にくい色らしく

よく編集さんからそこ指摘されていたものです。


自信を持つのも難しいというか…

いやそれも今思えば自分自身の問題だったんですが。


そんなこんなで来ましたが

つい数年前、仕事のことなどでいろんなことがあった頃

マンガ教室で生徒さんたちに向けていう言葉が

ブーメランのように自分に向かって来て直撃。


「好きな絵を好きに描けばいいよ」

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ハタと気がつけば私、仕事の絵はたくさん描いてきたけど

趣味の絵はあまり描いていなかった

仕事に役に立てばと練習絵は描いてたけど

ただのお絵かきはほとんど描いてなかった


けっこう驚きでした。
(10)へ続く
もと・水彩展 ネット用

若い頃「ちゃんとおかあさんしよう」と
一生懸命に子育てしてた

しんどくても大変でも
それを押して頑張るのが
子どものためだと思ってた


しんどくてもがんばる理由は

「あなたが幸せになれますように

あなたがいつも笑顔でいられますように」


だけど伝わったのはもしかしたら


「おかあさんは大変だ」

「おかあさんが仕事するのに自分がじゃましているかも」

だったんじゃないかとかその時を過ぎてふと思う


だって「しんどくてもがんばる」姿を
見せているんだもん


笑顔でいて欲しかったなら

自分が笑顔になれることをすればいんだっていう

すごくシンプルなこと

随分遅くなったけど気がついた

だから今は「なんとなくしんどい」を感じ始めたら

それがどんなに良いことでも

「それ間違えてるよ」って自分に言う


そうして夫から言われた言葉が脳内で再生

「しんどいことは続かない

大変なことは続けられない

やりたいことを続けたいなら

楽にやれる方法を考えなさいよ」


自分が楽しく笑える方法…考えるかぁ
P1000168

実家片付けとはちょいずれます


割と早い時期から実家絡みのいろいろで

頭抱えてジタバタすることが多かったんですが

ある時から実家との関わり方について
マイルールってのを作ったりしまして

ソレ作ってから少々難儀なことがあっても
とりあえず眉間にしわ寄せて過ごす時間は激減しました


マイルールってのはコレ⬇

*「親のことがなければ」という気持ちがよぎったら
関わり方を見直す


*基本「そうしたい」という気持ちがあるか?
と自分に確認しながら動く


*しんどい気持ちになりかけたら止まれ


なによりも一番守らねばなルールとして

*「私が幸せであること」


とても勝手だし

人によっては言いたいこともあると思う


でも


親を恨むようになることだけは避けたかったので


だから、本当にしんどい時
母にそう告げたし

他の人の助けを借りたし

世間的な親孝行なことをまるで
できない自分をヨシにしたのです

それからは実家絡みのことで難儀なことがあっても
ちゃんと笑えるし、幸せだと思えて過ごせるように
なりました。

…て、これ実は悶々して落ち込んで
ちょっと心ささくれかけた私に夫がずっと
言ってきたことなんですよね
でもなかなか受け入れられない私

それは仕事仕事で世間的な「いい娘」とは程遠い自分に
いくらかの罪悪感があったから

でもある時夫が言った

「親が自分たちのためにがんばって
しんどい思いしている娘を見て喜ぶと思うか?
あんたはミツ(息子)がそんな様子でうれしいか?」

これ。

あー
ですねー

その時にこのマイルールはできたのでした
20140102ブログ絵
このマイルール、マンガの中でも描いていたりします(^^)

親のやっていた店が潰れてその後の片付けは
寂しさはあっても罪悪感はなかったんですけど、

いわゆる「プライベートな物」については
けっこうな闘いがありました。


まずは持ち主の「捨てないで」という言葉やオーラとの闘い


店が潰れて父が亡くなり、がっくりと元気を無くした母

片付けながらふと思ったんですが
おそらく母にとって
家に残っていた物は
たくさんの幸せな頃の思い出や記憶がしまってある
部屋の鍵のようなものだったのかと。


でも捨てるわけです

母が捨てられないので私が捨てる


置いておけるならそれもアリだったんですが

病気で倒れて施設に入所した母

実家に残る物は、そのまま置いておくことが難しくて

そもそも片付け始めて母の部屋の物をどけたら

畳が傷んでいて、一部カビが出ていたり

晩年の喘息の理由はこれだったのか…と思うほど


それでも途中一旦ストップしたのは

母が時々「家の方どうなってる?」と聞いてくるから

嘘つくのがしんどいので

捨てるのを途中でストップしたのです

…と、これは振り返って思う理由

当時は「やむを得ない事情」が発生したからストップしたんで

きっと自覚ナシに「これ幸い」だったんだろうなぁ…(^^;)


話は戻りますが

「物」は「幸せな頃の思い出や
記憶がしまってある部屋の鍵のようなもの」

そう思った時に「罪悪感」はかなり減りました。

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だって、その記憶はもう母が持って行ってしまったから。

そして、私は処分しながら「母が大事にしていた理由」を

想像して私の中の記憶の箱に入れていったので。


勝手ですが私の気持ちにしまいこんだので
「捨てていない」のです

実家片付け真っ最中の人

間もなく我が身にかかってきそうという人

楽しいという方滅多いません

もちろん私も

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実家の片付けでほとんどの人が感じる

面倒臭さってなにかって考えたんですけど


「自分ではない人の価値ある物」を

捨てることで「価値がない物」にしてしまう感
これかなと。


文字にするとなんかすごくひどいって感じません?

それを実行する時によぎる「どうしようもない悪役感」を持たされる
それは相手が生きてても死んでても同じ)

それを引き受けると思うと


…正直すごく面倒臭さいです


でも、始めて途中からハタと気がついたんですよ

「捨てるのは物であって
それにまつわる人の気持ちや価値は
誰にも捨てることができない」
ってこと


続く

「楽に」を基本に進めようと思った実家片付け


意識してではなかったけれど
いつも実家の片付けに着手しようとすると

なにか「片付けは後で」と言ってしまうような
状況になっていたのです


「仕事が立て込んで時間がない」
…ちょうど急ぎの締め切りがない

「体調が悪い」
…更年期障害と50肩が治まってきた

「母親の病院が」
…母はもう虹の橋の向こう

それから、それから…


今回はその「できない理由」が軒並み消えてしまって

あれ?と思ったら目の前に「実家片付けの問題」が立っていました。

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なんだかその時
「あー
もう逃げるの疲れたなぁ」という心の声が


なんだかね、わけわかんないで逃げていたけど

段々、その正体がわかってきたというか

逃げ切っても楽にならないんだなと


まるで逃亡者のような…

でもホントにそんな気持(苦笑)
だからこの先を楽にするためにやるかぁと

母が亡くなったのは2年前なんですけど

実家片付けの問題はかなり以前からありました。


何度もトライして何度も途中で挫折

理由は様々

そして、夫はなにも文句言わず

片付けなさいとも、どうするのとも


そして今回片付けを言い出した私に夫が言ったこと


「あなたがどうしたいのか

自分が楽になる、楽しい気持ちになれる形を

思えるならやんなさい

それなら協力するから」

「自分が楽になる」


毎度毎度、いろんな理由で中断していたけど

実は「自分がしんどかったから」だって

薄々気がついていたんですけど…

夫から見たら分かりやすかったのかぁ…

なるほど、だから夫はせっつかなかったのか


てわけで、けっこう考えました


「わたし、どうなら気持ち楽なの?」

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「自分が楽になる」

これが今回の実家片付け、それから続く実家修復

オープンアトリエと繋がる全ての始まりの合図でした
 #実家片付け #オープンアトリエ

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