お声掛けいただいき今度は九州小倉で原画展があります。
「ゲームインパクトサミットin北九州」
「もっこちゃん」の冊子とか、水彩画の複製イラストとか
お会い出来たらうれしいですヽ(=´▽`=)ノ
混ぜていただく今回のイベント、これが私的に興味深く
コソッと覗きに行きたいという野望(๑•̀ㅁ•́๑)✧
親のやっていた店が潰れてその後の片付けは
寂しさはあっても罪悪感はなかったんですけど、
いわゆる「プライベートな物」については
けっこうな闘いがありました。
まずは持ち主の「捨てないで」という言葉やオーラとの闘い
店が潰れて父が亡くなり、がっくりと元気を無くした母
片付けながらふと思ったんですが
おそらく母にとって
家に残っていた物は
たくさんの幸せな頃の思い出や記憶がしまってある
部屋の鍵のようなものだったのかと。
でも捨てるわけです
母が捨てられないので私が捨てる
置いておけるならそれもアリだったんですが
病気で倒れて施設に入所した母
実家に残る物は、そのまま置いておくことが難しくて
そもそも片付け始めて母の部屋の物をどけたら
畳が傷んでいて、一部カビが出ていたり
晩年の喘息の理由はこれだったのか…と思うほど
それでも途中一旦ストップしたのは
母が時々「家の方どうなってる?」と聞いてくるから
嘘つくのがしんどいので
捨てるのを途中でストップしたのです
…と、これは振り返って思う理由
当時は「やむを得ない事情」が発生したからストップしたんで
きっと自覚ナシに「これ幸い」だったんだろうなぁ…(^^;)
話は戻りますが
「物」は「幸せな頃の思い出や
記憶がしまってある部屋の鍵のようなもの」
そう思った時に「罪悪感」はかなり減りました。
そして、私は処分しながら「母が大事にしていた理由」を
想像して私の中の記憶の箱に入れていったので。
勝手ですが私の気持ちにしまいこんだので
「捨てていない」のです
実家片付け真っ最中の人
間もなく我が身にかかってきそうという人
楽しいという方滅多いません
もちろん私も
面倒臭さってなにかって考えたんですけど
「自分ではない人の価値ある物」を
捨てることで「価値がない物」にしてしまう感
これかなと。
文字にするとなんかすごくひどいって感じません?
それを実行する時によぎる「どうしようもない悪役感」を持たされる
(それは相手が生きてても死んでても同じ)
それを引き受けると思うと
…正直すごく面倒臭さいです
でも、始めて途中からハタと気がついたんですよ
「捨てるのは物であって
それにまつわる人の気持ちや価値は
誰にも捨てることができない」ってこと
続く
「楽に」を基本に進めようと思った実家片付け
意識してではなかったけれど
いつも実家の片付けに着手しようとすると
なにか「片付けは後で」と言ってしまうような
状況になっていたのです
「仕事が立て込んで時間がない」
…ちょうど急ぎの締め切りがない
「体調が悪い」
…更年期障害と50肩が治まってきた
「母親の病院が」
…母はもう虹の橋の向こう
それから、それから…
今回はその「できない理由」が軒並み消えてしまって
あれ?と思ったら目の前に「実家片付けの問題」が立っていました。
なんだかその時
「あーもう逃げるの疲れたなぁ」という心の声が
なんだかね、わけわかんないで逃げていたけど
段々、その正体がわかってきたというか
逃げ切っても楽にならないんだなと
まるで逃亡者のような…
でもホントにそんな気持(苦笑)
だからこの先を楽にするためにやるかぁと